将棋から学んでみる
今回は”将棋”を題材に考えてみたいと思います。
案外知られていないのが将棋は「戦争」ではなく「宝石」の取り合いゲームだという事です。
玉金銀はそのままの意味として
桂⇒肉桂(シナモン)
香⇒香木
と当時の高級品を意味していると言われています。
最近だと棋士がコンピュータに負け越してしまったのが記憶に新しいですよね。
それに関連したこんな話があります。
1996年版『将棋年鑑』の「棋士名鑑」欄のアンケートに、「コンピューターがプロ棋士を負かす日は?」という設問がありました。
否定派や条件付き肯定派がいる中、羽生さんだけが「2015年」と言い放っています(!)
根拠があったのか偶然なのかは知る由もありません。
他にも羽生語録は沢山あるので、またの機会に話していきたいと思います。
将棋の基本
将棋と言えば”玉を詰ますゲーム”です。
細かいですが”玉を取るゲーム”ではありません。
相手の玉を「どうやっても次に取られてしまう!」という状態にすれば勝ちというワケですね。
討ち取る前に勝負が着くというのがある種の優しさを感じます。
そして将棋の最大の特徴はやはり”取った駒を持ち駒として使える”という点でしょう。
この要素が入る事で格段に奥深いゲームになります。
また持ち駒に関して私の好きな升田幸三氏のこんなエピソードがあります。
第二次世界大戦後、日本将棋連盟に連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) より呼び出しがかかった。GHQは「将棋はチェスとは違い、敵から奪った駒を自軍の兵として使う。これは捕虜虐待という国際法違反である野蛮なゲームであるために禁止にすべきである」と述べた。それに対して升田は「チェスは捕虜を殺害している。これこそが捕虜虐待である。将棋は適材適所の働き場所を与えている。常に駒が生きていて、それぞれの能力を尊重しようとする民主主義の正しい思想である。男女同権といっているが、チェスではキングが危機に陥った時にはクイーンを盾にしてまで逃げようとする」と反論。この発言により将棋は禁止されることを回避することができた※Wikipediaより抜粋
お互いの皮肉めいたやりとりが印象深いですよね。
持ち駒という概念
”持ち駒”これによってゲームがどう変化するのか考えてみたいと思います。
チェスやオセロ、囲碁等のボードゲームは序盤選択肢が多く、終盤に向かって選択肢が減っていく傾向にあります。
将棋は逆です。
序盤は選択肢がそれほどありませんが、中終盤に向かって駒がぶつかり出し、持ち駒が増える事によって一気に選択肢が広がります。
本来収束していくはずのボードゲームが、拡散するのです。
選択肢が多ければ多いほど考える要素は増えます。
ミスも発生しやすくなり、終盤の逆転劇が起きやすいとも言えます。
そこが将棋の魅力の1つかもしれませんね。
選択肢の大事さ
ゲームのプレイ中に「何か単調だなー!」と思った時は、プレイヤーの選択肢が少なくなっている可能性があります。
とは言え反対に選択肢を与えすぎても「何をしたら良いか分からない!」となってしまいます。
序盤はあえて選択肢を少な目にして、中終盤にかけて選択肢を増やしていくのがポイントだと思います。
チュートリアルの段階で、あれもこれも出来てしまったら逆にやる気なくしませんか?
プレイしながら1つずつ出来る事が増えていって、気付いたら色んな事が出来るようになっている!というのがユーザーにゲームを長続きさせる”コツ”だと思います。
認知心理学者のネルソン・コーワンも、2001年の「マジカルナンバー4」という論文で、人間の短期記憶の容量限界は「3~5個」と述べています。
システムを凝ると最初に「どう?こんなに出来る事あるよ!」とアピールしたくなる場合がありますが、そこはグッと堪え、情報を小出しにしていく事を心がけましょう。
最後に
ユーザーの選択肢を考えるという事は、ユーザー目線でプレイする事につながります。
自分で作ったゲームは、自分の都合の良いように解釈してしまいがちです。
”初見プレイした場合にユーザーはどう思うのだろう?”
”慣れてきたユーザーはこのシステムをどう考えるだろう?”
こういった事を追及していって、ユーザーに飽きさせず「楽しい!」と思ってもらえるようなゲームを作りたいですね。
最後に升田幸三氏のこの言葉を送りたいと思います。
人生は将棋と同じで、読みの深い者が勝つ。